秦野市堀西に鎮座する天津神社には俳句が書かれた大きな額が奉納されています。額は幅3.26m、高さ53.5cm,厚さ3cmの木製板です(写真1)。この額には63の俳句が墨書きされており、内3句は句会を指導されたと思われる撰者のものです。額の標題は遊戯三昧、末尾に壬戌 季春と記されています。後述する撰者の名前から額が奉納された年号は江戸後期の文久2年(1862年)と推測されます。このため、墨書きの一部は経年劣化で判読が困難な状況になっています。調査は神社を管理する氏子総代の許可を得て、奉納額を社殿から取り外して目視ならびに写真撮影しました、撮影は通常の可視光線によるもの、赤外線カメラによるもの(註1)、LED光線を額に斜めから照射する3方法により行いました。赤外線カメラによる方法は墨書きが経年劣化により表面の墨が消失しても板の内部にしみ込んでいる墨が残っていると検出される。斜光照射では板の経年減肉が墨書きの部分は保護されて凹凸ができ光の影により墨書きの部分が浮かび上がる。これらの特性を利用して判読困難な文字の解読につながる事を期待して撮影しました。
データ整理の都合上、奉納額の右側の句から1句毎に番号を付与しました。 
画像1は俳句No.1の撮影画像を3種類の撮影方法で撮ったものを1画面に並べたもので、No.63の画像までをPDFデータに変換して”俳句画像集PDF”(註2)に収録しましたのでご参照ください。俳句の下段には資料1(註3)に示す詠み人と出身地名が記されています。60名の詠み人は20の地区に及んでいます。現在の秦野市内からは15地区48名、中井町からは境と古怒田の2地区より9名が記されています。他に小田原、鎌倉、静岡県小山町竹ノ下からの詠み人が記されています。軸と書かれた後に撰者と思われる鴫立葊立宇、梅之本為山、真実菴抱儀の3句が記されています。撰者3名のプロフィールを資料2(註4)に示す。墨書きされた俳句は達筆な筆使いで書かれたくづし字で解読は容易ではないため、古文書などの読み下しに経験豊富な矢内昭夫先生にご協力をお願いしました。資料3(註5)は矢内先生が現時点で解る範囲を記していただいたものです。文中のかな文字はその右側に字母が添え書きされています。
まだ未解読な所がありますので、さらなる解読に当たり”俳句画像集PDF”をご覧いただいた先輩諸兄からのお知恵をお願いする次第です。

註1:赤外線カメラによる撮影は公益財団法人かながわ考古学財団のご厚意で同財団の事務所に奉納句額を搬入して行う事ができました。関係者の皆様に厚く御礼申しあげます。

註2:”俳句画像集PDF”

註3:資料1”詠み人リスト”

註4:資料2”撰者プロフィール”

註5:資料3”俳句読み下し”

上記の4データは市民の窓投稿規定の容量を超えますので本稿では公開できません。
大恐縮ですが筆者にメールをいただければデジタルデータを添付返信しますのでよろしくお願いします。

問い合わせ先メールアドレス:uiwata745@outlook.com

写真1 奉納句額全景