秦野市指定の史跡
- 桜土手古墳群(さくらどてこふんぐん)
- 昭和47年12月指定
概要
南北200メートル、東西500メートルの範囲で35基の古墳が分布する神奈川県内でも規模の大きい古墳群です。工場等建設の開発にともない23基の古墳の発掘調査が行われましたが、残り12基のうち6基が桜土手古墳公園内に、6基が隣接する工場に秦野市の史跡として保存されています。また、古墳公園内には、古墳群の中でも最大規模の1号墳が復元されています。
各古墳は、最大径約28メートル~最小約8.5メートルの規模で、全て円墳です。古墳群の中でも規模の大きい1号墳や7号墳など20メートルを超える古墳は各古墳から離れた位置に構築されており、それよりも規模が小さいものは群集して分布しています。古墳群は全て横穴式石室と呼ばれる埋葬施設をもち、副葬品として、勾玉、耳環などの装飾品や直刀、須恵器などが出土しています。また、1号墳や7号墳では、墳丘構築に関連する遺構だと考えられている墳丘内に石垣状の石積があります。古墳群の時期は7世紀代を中心に6世紀末~8世紀初頭に構築されました。
所在地
- 所在地:神奈川県秦野市堀山下380-2
- 交通:渋沢駅から徒歩15分
桜土手古墳群と発掘・整備の歴史
- 桜土手古墳群が所在する辺りは、塚原(つかはら)や浄泉塚(じょうせんづか)の地名で呼ばれており古くから古墳が存在することは知られていたようですが、江戸時代に編集された「新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのくにふどきこう)」には紹介されていませんでした。
- 昭和44年(1969)「秦野市埋蔵文化財遺跡地名表」に桜土手古墳群の名称で「水無川南岸の平地の広い範囲に立地し、数十基の古墳が群在する」と紹介されています。
- 昭和49年~52年(1974~1977)第一次発掘調査では、19基の古墳を調査しました。
- 古墳はいずれも7~8世紀の円墳で、発掘をしてみると思ったより大きく保存状態も良好でした。そして東国の古墳時代後期の群集墳の姿を最も良好に表すものとされています。
- 昭和61年(1986)第二次発掘調査では、4基の古墳を調査しました。
- 古墳の数は、第一次・第二次にわたる発掘調査の結果35基であることが確認されました。そして発掘されずに残った12基は秦野市指定史跡として保存されています。
- 平成2年(1990)に古墳公園・展示館として整備されました。古墳は現在、古墳公園内に6基、日産車体内に5基、島津製作所内に1基、合計12基保存されています。